1982年より発行されているスウェーデンの織物専門誌『VAVマガジン(ヴェヴマガジン)』。 スカンジナビアを中心に世界中の織り手、 テキスタイルデザイナーに愛読されています。
日本では、カズテキスタイルが1983年No.4より和訳を発行(監修:関谷和子)。 以来25年に渡り、日本の皆様にご購読いただいています。
毎号、織り方の説明が付いた10種類の織物が紹介され、北欧を中心に世界各地の織り手や織物に関する様々なルポルタージュが掲載されています。

貝紫染色家 稲岡良彦さんについて
                       ※事実と異なる部分についてはを入れています
 日本にも、貝紫染めをする幾つかの小さな工房があります。昨2008年の夏に日本へ行った時は梶谷宣子(かじたに のぶこ)さんとご一緒して、伊賀上野で貝紫染めをしていらっしゃる稲岡良彦(いなおか よしひこ)さんの工房を訪ねました。伊賀上野は、京都の南東でかつ奈良の反対側にある山地に囲まれた町で、特に俳諧師松尾芭蕉(1644~94年)が生まれた土地として有名です。ここは、帯(着物を合わせてその上にしめる幅広のベルト)の上に締める紐類や特に伊賀上野独特の組紐の帯締めなどの生産中心地でもあります。
 稲岡さんの染色の仕事はこの組紐の生産に大きくかかわっていて、組紐に使われる糸を化学染料で染めることを専業とし、様々な組紐を織るための糸の特別な色注文を受けています。一週間のうち彼の平日の主な時間は、そのような糸を染める作業にそそがれていますが、自由な時間や週末・祭日となると彼の大きな関心でありながら、実際は収入につながらない貝紫染めをするのです。とは言っても、彼の貝紫染めの作品は実に高い評価を受け、美術館で開催された貝紫の展示会では秋山さんの作品や他の多くの作品とともに展示されました。
 彼の染め場は、町の郊外にある御自宅内にあります。稲岡さんはとても感じの良い親切な方で、すぐに染めに使う巻貝から染め上がるところまでの全工程を実演して見せて下さいました.秋山さんのところで使っているのと同じ巻貝Rapana rapiformis(アカニシ)を最初に見せて下さいましたが、秋山さんのところで見たものよりずっと大きなものでした。
 稲岡さんは、瀬戸内海の海面下20メートのところに生息している巻貝を使っています。この種の巻貝の重さは普通約250グラム前後ですが、稲岡さんが差し出して見せて下さったものは1個500グラムもありました。稲岡さんは巻貝を冷凍保存していますが、好んでなるべく新鮮なものを使っています。というのは、貝を冷凍するとパープル腺が柔らかくなり過ぎて取り出しにくくなるためです。
 稲岡さんはハンマーを手にし、巻貝の穴をたたき割り、なかに潜んでいた動物の一番奥についているパープル腺を見せて下さいました。この巻貝は美しい色を生み出すだけでなく、海辺の人々によって食され、またレストランでも調理して出されています。
 まず稲岡さんは、臭い匂いのするパープル腺原液を直接糸にこすりつけるというとても簡単な染色方法を見せて下さいました。そうすると、空気の中の酸素で発色が促されます。糸を屋外の石の上に置いて太陽光線にさらして紫外線による発色を試みましたが、均一に染まらず斑染めになり、繊維のなかにしっかり浸み込んでいきません。しかし古代またはそれ以前、中央アメリカの海岸地方では、他種のMurexアクキガイ科巻貝を使い殆どこのような方法で染めていました。

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 環元染浴に絹糸を浸けてそれを取り出して空気にさらすと、絹糸は黄色から緑へと変化していきます。そして糸をしぼって空気中で酸化を続けていくと、目の前でみるみる赤紫へと変わっていきました!染浴は更に薄いトーンとなるとともに、染料を取り込んだ糸は素晴らしい濃い貝紫色になりました。
 最初の紫の染浴を今度はガラス容器からステンレスの容器にあけ、布が染められるようもう少したっぷりの染液を作るため水を加えます。再び温度を上げたら、今度は火を消して絹のスカーフを液に浸します。これを何回か浸したり、取り出して酸化を繰り返し、色が染まってくるのを再び見ることが出来ました。
 手品みたいです! その後、表面のねばねばザラザラしたものを普通の水で何度も水洗いして洗い流します。
 何度も水洗いすることによって、色は更に赤紫になって行きますが、どのカラートーンに到達するかは、もちろんどの種類の巻貝を使ったかによって異なります。時が経つと色も深まり、色自体がますます安定していきます。
 その染めたスカーフは、このあと私にプレゼントして下さいました。

キャプション、
(上)ご実家は稲作農:家で稲岡さんはこの土地で育ちましたが、ご自身は工芸家になりたくて、かなり若い時に京都へ行き、織りの街として有名な西陣で3年間修行生活を送りました。その後、稲岡さんは貝紫に興味を持ち、そのためにペルーやメキシコへと旅をして、そこで貝紫染めの方法を学びました。学校の生徒や私達のようなグループを受け入れ、貝を使った貝紫染めの不思議を見せて下さいます。